浦和地方裁判所川越支部 昭和56年(ワ)274号 判決 1983年5月19日
原告
郷間博芳
原告
郷間敏子
右訴訟代理人
大久保賢一
加藤雅友
被告
学校法人崎玉医科大学
右代表者理事
丸木清美
右訴訟代理人
梶原正雄
江口英彦
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 原告ら
1 被告は、原告ら各自に対し各一五〇〇万円及びこれに対する昭和五六年七月一一日以降完済まで年五分の金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 被告
主文同旨。
第二 当事者の主張
一 原告らの請求原因
1 (当事者)
被告は、肩書地において医科大学を設置・経営し、その附属病院において医療行為をするものである。
原告らは、右医科大学附属病院(以下「被告病院」という。)において昭和五四年八月四日死亡した郷間律雄(昭和三九年六月二日生、以下「亡律雄」という。)の、両親である。
2 (医療過誤の発生)
(一) 亡律雄は、昭和四四年七月(五歳頃)に再生不良性貧血を発病し、以来、被告病院で継続的に輸血・投薬・注射等の治療を受けていた。
(二) 亡律雄は、昭和五四年八月四日午前、被告病院小児科外来において輸血を受けたが、輸血を受けている間に容態がおかしくなり、数回にわたつて胃液・血液等が混入した物を吐き、顔も脹れ、目付もうつろになり、上を向き放しの状態になつた。
そこで、原告郷間敏子(以下「原告敏子」という。)は、被告病院小児科看護婦小堀房枝に連絡し、医師の診察を求めたが、医師は現われず、亡律雄は医師の診察を受けることができなかつた。
(三) 同日午後二時過ぎ、被告病院九階の小児科病棟から、亡律雄の主治医であつた同病院医師渋谷温(以下「渋谷医師」という。)が、同病院三階の小児科外来に電話で連絡してきたので、原告敏子は、渋谷医師に対し電話口で、「律雄の様子がおかしい。吐き続けているし、目付も変つている。だるい、苦しいと訴えている。」「診察して欲しい。入院の準備もして来ているので入院させて欲しい。」旨訴えたが、渋谷医師は、「病院はホテルや旅館じやない。」「甘やかせるな。」「大丈夫だ、もう帰つてよろしい。」旨電話口で応待したのみで、亡律雄を診察しなかつた。
(四) そのため亡律雄は原告敏子に連れられてやむなく自宅に戻つたが、なお吐き続けたので、原告敏子は被告病院に連絡し、渋谷医師に亡律雄の病状を訴えたが、渋谷医師は、ハイコパールの服用を指示したのみであつた。
(五) しかし、その後も亡律雄の病状は一向に改善されなかつたので、同日午後七時頃、原告らは再び亡律雄を被告病院に連れて行つた。
渋谷医師は、亡律雄が被告病院に到着した二〇分ないし三〇分後に亡律雄を診察し、点滴注射を指示したが、亡律雄は右の点滴注射を受けている間に苦しみのあまり脱糞するに至り、再び亡律雄を診察した渋谷医師が何らかの注射をした直後、亡律雄の全身に痙攀が一〇数回にわたつて生じ顔面は紫色に変色するに至つた。
(六) このため、同日午後一〇時二五分すぎ頃から、渋谷医師は亡律雄に酸素吸入・人工呼吸をほどこしたが、亡律雄は同日午後一一時一〇分死亡した。
なお、亡律雄の死因は、被告によれば脳出血とされている。
3 (被告の責任)
(一) 亡律雄は、昭和四四年七月五日、原告らを法定代理人として、被告との間に診療契約を締結し、以後昭和五四年八月四日までの間継続的に診療を受けてきた。
(二) 被告は、右の診療契約に基づき、医師、看護婦、薬剤師等の履行補助者を介して、亡律雄に対し医療機関として要求される臨床医学上の知識、技術を駆使して速やかに的確な診断をし、亡律雄の病的症状の医学的解明をし、適切な処置をとるべき義務を負つていた。
(三) 亡律雄の容態は前記2(二)ないし(五)のとおりであり、かつ、被告は、亡律雄が再生不良性貧血であることを知つていたのであるから、亡律雄を診察し、その原因を発見し、適切な処置をしなければならないにもかかわらず、前記2(二)ないし(五)のとおり、渋谷医師は、漫然とこれを放置し、亡律雄を迅速に診察することもなく、適切な処置もとらなかつた。
(四) 再生不良性貧血による直接の死因として重要なものは、出血及び感染症であつて、予後改善に出血及び感染症に対する万全の配慮が不可欠のものである。
亡律雄が脳出血を起こしていたとしても、発作時における絶対安静を確保し、点滴の静脈注入によつて水、電解質のバランスを保ち、感染予防のための投与をするならば、存命の可能性はあつた。したがつて、被告が、亡律雄の容態の急変に接し、可及的、かつ、すみやかに診察していたならば、適切な診断・処置が可能となり、亡律雄はその生命を失うことはなかつたものであり、亡律雄の死について、被告は前記3(一)の診療契約に基づく債務不履行の責任を負う。
(五) 仮に、亡律雄の死と前記2(二)ないし(五)の各事実との間に因果関係がないとしても、前記2(二)ないし(五)の各事実は、亡律雄に対し前記3(一)の診療契約に基づく診療をすべき債務の不履行であるから、被告は、右債務の不履行による損害を賠償する義務がある。
4 (損害)
(一) 亡律雄の慰藉料
前記2(二)ないし(五)記載の各事実に鑑みると、亡律雄については、慰藉料として二〇〇〇万円が相当である。
(二) 原告らの相続
原告らは、亡律雄の被告に対する慰藉料請求権を各二分の一宛で相続した。
(三) 原告ら固有の慰藉料
亡律雄の苦しみを目前にしながら前記2(二)ないし(五)のとおり医師の診察を受けさせることもできなかつた原告らの想いに鑑みると、原告らについては、慰藉料として各五〇〇万円が相当である。
5 (結論)
よつて、原告ら各自は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、一五〇〇万円及びこれに対する弁済期到来後(訴状送達の日の翌日)である昭和五六年七月一一日以降完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払いを求める。<以下省略>
理由
一被告が、肩書地において医科大学を設置・経営し、その附属病院である被告病院において医療行為をするものであること、原告らが、昭和五四年八月四日被告病院において死亡した亡律雄の、両親であること及び亡律雄が昭和四四年七月(五歳頃)に再生不良性貧血を発病し、以来、被告病院で継続的に輸血・投薬・注射等の治療を受けていたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ<る。>
1 亡律雄は、昭和五四年八月四日午前、被告病院三階の小児科外来において新鮮血二〇〇CCの輸血を受けている間に意識障害はなかつたが、目付がおかしくなり、数回嘔吐し、「苦しい。だるい。」等と訴えはじめた(右日時場所において亡律雄が輸血を受けたことは当事者間に争いがない。)。
2 同日午後三時半頃、亡律雄の主治医であつた渋谷医師は、担当看護婦の平間准看護婦及び原告敏子から電話で亡律雄の右状態の説明を受けたが、亡律雄が再生不良性貧血の治療として、それまで二週間に一回ないし週三、四回の頻度で輸血を受けており、輸血のたびにその副作用によつて悪感・戦慄、発熱、吐き気、嘔吐等の症状を呈するのが通常であつたため、亡律雄の右症状も輸血の副作用であると考え、自ら亡律雄の状態を観察することはせず、原告敏子が亡律雄を被告病院に入院させてくれるように申し出たのに対して自宅で様子をみるように指示しただけで、他に格別の指示もしなかつた。
3 その後、亡律雄は、原告敏子に連れられて帰宅したが、前記症状に改善がみられず、嘔吐を続けたため、午後七時頃に至り原告らに連れられて再び被告病院に来院し、渋谷医師の診察を受けた(右事実は当事者間に争いがない。)。
4 渋谷医師は、当初、肺炎等の胸部の異常を考え、亡律雄の胸部レントゲン写真の撮影を指示し、出来上つた写真をみたが、異常が認められなかつたことから前記輸血の副作用が継続しているものと考え、右副作用を抑制する目的でビタミン剤等を含むソリタールT3の点滴注射をし、さらに同日午後一〇時頃ネオレスタミンを注射した。亡律雄は右点滴中に肛門から出血を起こしたが、渋谷医師は、再生不良性貧血の場合には肛門から出血することがしばしばあり、右出血の部位も腸管であろうと考え、出血部位からしてさして重大なものでないと判断し、右出血に対して格別の処置はしなかつた。
5 ところが、右ネオレスタミンを注射した直後、亡律雄が突然痙攣を一〇数回にわたつて起こし、その瞳孔が散大し、顔面も紫色に変色したため、同日午後一〇時二五分すぎ頃から渋谷医師が亡律雄に酸素吸入・人工呼吸をほどこしたが、亡律雄は同日午後一一時一〇分死亡するに至つた(同日午後一〇時二五分すぎ頃から渋谷医師が亡律雄に酸素吸入・人工呼吸をほどこしたが、亡律雄は同日午後一一時一〇分死亡したことは、当事者間に争いがない。)。
三そこで、亡律雄の死因について検討する。
1 <証拠>を総合すると、再生不良性貧血(ファンコニー型を含む。)は、その発病の原因はともかくとして、病態としては、骨髄機能の低下によつて骨髄からの赤血球、白血球、血小板等の血中成分の産生が減少して貧血を生ずるものであること、血中の血小板が減少した場合には出血を生じ易くなり、殊に、血液一ミリリットル中に血小板数が五万以下(正常値は、血液一ミリリットル中の血小板数は一五万から三五万前後である。)の場合には極端に出血し易くなり、いつ身体のどの部位に出血するか全く予測し得ない状態になること、そのため、再生不良性貧血の死亡例は、白血球の減少による感染症と並んで、脳出血、肺出血等の出血死が最も多いこと、一方、亡律雄の血液一ミリリットル中の血小板数は五〇〇〇から二万の間を上下しており、死亡の日の前々日である昭和五四年八月二日の検査においては、血液一ミリリットル中の血小板数は五〇〇〇であつたこと、一般に、瞳孔が散大し、痙攣が生じる場合には中枢神経殊に脳の異常が疑われること、以上の事実が認められ<る。>
2 以上認定の各事実及び本件全証拠によつても他に亡律雄の死因が考えられないことからすると、亡律雄の死因は脳出血であると推認するのが相当である。
四そこで、亡律雄が脳出血により死亡したことを前提として、被告の債務不履行の有無について判断する。
再生不良性貧血において血液一ミリリットル中の血小板数が五万以下の場合には、極端に出血し易くなり、いつ身体のどの部位に出血するかは全く予測できないこと、亡律雄の血小板数が昭和五四年八月二日には血液一ミリリットル中に五〇〇〇であつたことは、いずれも前認定のとおりであり、証人前田和一の証言によれば、輸血をしても血液中の血小板数が出血を確実に防止する程増大するものではないことが認められ、本件全証拠によつても、再生不良性貧血において輸血以外に出血を防止するに有効確実な治療方法が存在するものとは認められないこと(<証拠>によれば、再生不良性貧血の治療方法として輸血のほか副賢皮質ホルモン、蛋白同化ホルモン等が投与されることが認められるけれども、右副賢皮質ホルモンの投与、蛋白同化ホルモン等の投与に直接出血を防止する効果が存するものと認めるに足りる証拠は存しない。)からすると、亡律雄の脳出血を防止し得なかつたことについて被告に債務不履行を認めることもできない。
次に、昭和五四年八月四日午前に亡律雄が輸血を受けた際、目付がおかしくなり、数回嘔吐し、「苦しい。だるい。」等と訴えはじめたことは前認定のとおりであるが、亡律雄は、従前輸血のたびに輸血の副作用によつて悪感・戦慄、発熱、吐き気、嘔吐等の症状を呈することが通常であつたこと、右の輸血を受けた際も意識障害はなかつたことも前認定のとおりであり、他方、本件全証拠によつても、亡律雄が頭痛を訴えた形跡は認められない。<証拠>によれば、亡律雄の症状には多少普段の輸血の副作用とは異なるものであつたことが窺われるけれども、<証拠>によれば、頭痛、意識障害、痙攣等が脳出血の主要症状であることが認められるのであるから、亡律雄の右症状をもつて亡律雄に輸血の際に脳出血が発生したと考えることはできない。そうして、その後、前記のとおり亡律雄の症状に変化はなく、本件証拠上、昭和五四年八月四日午後一〇時すぎ頃痙攣が生じるまで、亡律雄に前記脳出血の主要症状の発現があつたと認めることはできず(かえつて、証人渋谷温の証言によれば、亡律雄は、右同日午後七時頃渋谷医師の問診に対して主として胸部苦悶感を訴え、頭痛については何ら訴えてはいないこと、意識状態も正常で、意識障害の兆候もなかつたことが認められることからすると、右時点までに亡律雄に脳出血の主要症状の発現はなかつたというべきである。)、結局、亡律雄に前記痙攣が生じるまで被告において亡律雄の脳出血を疑い、そのための処置をとらなかつたことをもつて、被告に債務不履行責任があるということはできないし、また、亡律雄に痙攣が生じた後に渋谷医師がとつた処置について、被告に何らかの債務不履行が存したと認めるべき証拠もない。
原告らは、被告が、亡律雄脳出血時に絶対安静を確保し、点滴静脈注入によつて、水、電解質のバランスを保ち、感染予防のための投与をするならば、存命の可能性はあつた旨の主張をするけれども、亡律雄が痙攣を起こしてから死亡まで極めて短時間であつたこと、既に点滴注射を受けていたことは前認定のとおりであり、<証拠>によれば、被告病院では亡律雄が痙攣を起こしてからすぐに亡律雄を入院させ、前認定の処置をとつたことが認められるのであるから、痙攣後に原告ら主張の処置をとらなかつたことをもつて被告に債務不履行があるということはできない。
以上の次第であるから、亡律雄が昭和四四年七月五日、原告らを法定代理人として、被告との間に診療契約を締結し、以後昭和五四年八月四日までの間継続的に診療を受けてきた事実は、当事者間に争いがないが、本件において、被告の診療債務不履行の結果、亡律雄の脳出血が発生したとか、あるいは亡律雄の脳出血の発見、処置に何らかの診療上の債務不履行が存したものということはできない。
五ところで、原告らは、請求原因2(二)ないし(五)の各事実は、亡律雄の死亡と因果関係がないとしても、前記診療契約に基づき診療をなすべき債務の不履行である旨を主張する。
しかしながら、当該の患者に診療の必要が存するか否かは、第一次的には医師の判断によるべきものであつて、無制限に患者の診療依頼に応じなければならないものでないのであつて、医師の判断に過誤が存し、そのために患者に肉体的損害を生じたという特段の事情がある場合はともかく、右診療依頼に応じないことと、患者の死あるいはその他の肉体的損害との間に因果関係が存しない場合に、結果と無関係に診療債務の不履行のみをとらえ精神的損害の賠償を請求することはできないものというべきである。
したがつて、原告ら主張の請求原因2(二)ないし(五)の各事実の存否を判断するまでもなく、原告らの被告に対する診療債務の不履行に基づく損害賠償の請求は理由がない。
六以上の次第で、原告らの請求はいずれも理由がなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(井田友吉 板垣範之 綿引穣)